『それは、進路の決定だった』

Then even nothingness was not. not existence.

There was no air then.not the heavens beyond it.

What covered it? Where was it? In whose keeping?

Was there cosmic water in depths unfathomed?



太初の地球には無が存在せず、存在もまた存在しなかった。

空はまだ無く、それを分かつ天国も存在しない。

それは何に覆われている? どこにある? 誰の加護にある?

深さの知れない中に、宇宙の原水は存在したのか?



―――ヒンドゥー教聖典リグ・ヴェーダ』第十巻百二十九「宇宙開闢の歌」の一




ライズだ。

第2話第6章をかろうじてうpした余波か、ここ数日間何もかもにやる気が出なくなっている。

いわゆる、腑抜け状態だ。頭の中にある構想を表現させるという言語の難しさ、と言うよりは単純なる俺の語彙の問題かもしれない。

やはり長い間書いているとそういう問題にもブチ当たるものだ。



世に出て才能を開花させている人間達と比べた時、『どうして俺は劣っているのか』とくだらない優劣に縛られることが多くなった。


オンリーワン、等と世間では言い立てているが、それは厳密に言えばおかしい。

そもそも人間とは、何かを目指して1位になる瞬間が最も輝いているのでは無いか?

ならば、そこには少なからず競争意識があり、オンリーと言う言い訳は都合のいい詭弁に成り代わる。


そしてそれは人生においても同じだ。


誰かが勝ち組となり、誰かは負け組になる。誰が成金で誰がホームレスになるか。

誰もが将来への不安に縛られている。


しかし、俺は思わずに居られない。

『何に必死になっているのだろう』と。


金を得るために生きているのか?

安定した将来を迎える為に生きているのか?

名誉と物に満ち溢れた、一見ゆたかな生活が送りたいが為なのか?



…………それが、生きる意味なのか? 



母親は、そんな事をして欲しいと思って自分たちを産んだのか?



だとすれば、何と安っぽい人生よな。

そんなものの為に命を削って、最後に何が残るんだ?


富か? 名声か?

それは、死んだ後に何になる?

そんな人生には、生中死後あわせて“価値がある”のか―――――。


結局それらの目的は、怠けにまみれた自分のエゴでしかないのだ。


本当に、意味が無い。とことん意味が無い。

そんな生活に何か意味があるというなら、今すぐそれを教えて欲しい。



俺は二の舞にならない。この世に何かを残したい。

死してなお人々に振り返られ、さらには後世の人々に伝えられ、


「彼の残した言葉や文章のおかげで、辛い時期から救われた」


そう言って語られるような、本当の意味で満ち足りた人生を送って終わらせたい。


青臭いことだと、世間には笑われるかもしれない。

でも、やってみたいんだ。それでいいと思っている。



――――だから俺は、宮沢賢治のような人間になると決めた。

教師をする傍らに、人々を突き動かせる物を書ける…………


……………そういう人に、私はなりたい。