『若者らしい正義感とは何か』

ライズだ。こんにちは。

ここの所掲載した日記二件において、俺が麻生総理を擁護し続けている事があったのか、メールボックスに見知らぬ人間から『お前は自民党工作員なのか』といった旨の批判メールが一通来ていた。


俺はただの浪人生だ。しかし、国を憂う日本人のひとりだ。

これは名言になりそうな予感。


そう言えば2年前に麻生氏が出版した『とてつもない日本』という本が、今になってバカ売れしているらしい。

というのも2chでそういうオフがあって祭りになってるかららしい。

本の内容も「マスコミは日本に希望が無いような報道ばかりするが、本当にそうなのか? 海外からも評価されている日本という国をもう一度見直そう」という、麻生氏ならではのモノ。


札幌国際大学の教授は今回のバカ売れについて、「インターネットの世界には、物見高いけれど無責任、それでいて正義感も持っていた江戸の町人気質が感じられる。マスコミの激しい麻生たたきに対して、町人気質が異議を唱え、多くの賛同者を生んだと考えるべきだ」と述べた。


町人気質、とはまた面白い表現だけど、これは確かに近いなにかだと思う。

何にしてもついに無能な被洗脳者を、有識人が呼び覚まし始めたとの見方が出来るんじゃないかね。

こうして麻生叩きをしているマヌケ達が時代に取り残されていくと思うと、日本のゴミが一掃されたようでせいせいする。

そんなこと書くから工作員かって言われるんだろうけど。


アマゾンのレビューでは『麻生氏反対派だったが、彼が実に志の高い人物だと知った』と書かれたりして総合星評価4.5をマークし、スレッドでも『これは麻生が支持されてるというより民主・マスコミ連合に対するアンチテーゼだろうな』と言った鋭い意見も見られる等、なんだかんだで今回のオフがもたらした影響力は大きかったよう。



はい、じゃあ今から真面目な話するわ。


そこで今回の件に思ったのが、“正義感”とはどういうことなのか、という事。

教授は今回の件を、『正義感を持つ気質が異議を唱え、賛同者を生んだ』と表現したわけだが、ではその正義感とはなにで、どうして社会と相容れないのだろうか。

正義感を持つ者が賛同者を生み、それが大きな原動力となっていく事は理解できる。それがどうして『社会』とぶつかってしまうのか、ということだ。

つまり、『社会は正義ではないのか? どうして社会は正義化できないのか?』って話。

社会が正義の色に染まっていれば、正義感を持つ者が社会と衝突するわけが無いのだ。



昔、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』というアニメ作品を見ていたときに、瀬良野という人物が言った言葉を思い出す。


「確かに君は天才的なハッカーで、犯罪者には変わりはないが、その能力は、“若者らしい正義感”を“世の中の不正”にぶつけていくためだけに使われているように見えたからだ」


この言葉は、彼の会話相手であり、瀬良野自身を6年前電脳ハックで誘拐した“笑い男”なる青年に対して送られた物だったが、その笑い男と呼ばれた青年もまた、自分の才能と情報を以て『社会の大きな悪の側面である“利権団体”』にメスを入れようとし、そのあまりの深さに絶望して敗れ去った人間であった。


彼の形容された“若者らしい正義感”と、今回の教授が言った『正義感』とは、何か相通ずる物があるように思えてならない。


ともすれば、やはり今回の“麻生氏本購入祭り”もまた同様なのだろうか。

確かに、攻殻機動隊の作中にて、“笑い男”の起こした行動(事件)は『消滅する媒介者』となって物議を呼び、やがて“利権団体が人為的に起こしたもの”も含めて、スタンドアローンコンプレックス現象として多数の模倣犯を生み出し国民に影響を与えるにまでは至ったが、彼の本当に為しえたかった事は最後まで達成されることはなかった。

今回の件だって、祭りと言う媒体を通じて模倣を生み、「麻生支持は本当は多いんだよ」と大衆に知らしめることで、ある程度の方向性を与えたのも事実には違いないが、それが民主やマスコミに対して直接の打撃を与えたかと言うと、そうではないのだ。


言わば今回のデモは防御でこそあれ、マスコミへの効果的な攻撃ではなかったってところだろうか。


では社会を正義化する事は不可能なんだろうか?

「人の心が黒いからだ」だの「社会は黒く出来ている」だの、そういう反先進的で何の役にも立たない意見を求めているわけではない。

ましてや「資本主義だから利己的なのはしょうがない」「構造的欠陥だ」というのも、非生産的で思考停止している馬鹿の言葉でしかない。


そうじゃないんだ。諦めから入るんじゃない、社会が正義化できる方法を考えるんだ。


思い通りの大学にも合格できないような俺が一人で考えたって良い案は出ないけど、国民皆が考えるようになればきっと未来も変わるだろう。


それが出来るようになれば――悪が今の正義のように淘汰され、絶対的地位を確立するようになれば、そしてその“正義”を不断の努力でブレないように、腐敗しないように機能させる事が出来れば――。

麻生氏が著書で述べたように、日本という国に皆が希望を持てるようになれると思う。