『名残雪 水晶の靴 融けもせず。』

『しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか』

―――セーレン・オービュエ・キルケゴール


ライズだ。こんにちは。塾がインフルの影響で今頃休みになったので更新頻度上がってます。


上のは俺が気に入ってる(座右の銘ほどではないけど)言葉。

常に何かを喋りかけていないと死ぬんじゃないかと思う人いるよな。たまに。

けっこう俺もそうですよね。すみません。


いやでも、沈黙って時に大事な意味を持つことあるよな?

俺はおしゃべりとはいえべつに日常で会話が途切れてもぜんぜん気まずいとは思わないんだ。そうあるべきだとか言うつもりはないけど、沈黙があっても居心地が悪くない、そういう人間関係でなければそもそも『話す気が起きない』と思うので、やっぱり同じことかと考えたり。


『誰の言葉にも耳を貸せ。口は誰のためにも開くな』ってシェークスピアの名言があるじゃん。これはちょっと引用間違ってるか。

でも、沈黙は金でもあることには違いない。口数が多くて得したことなんて、おしゃべりな俺の人生でもそうはない。



前々回の話で、言葉は人に感情を与える感覚記号だって話をしたと思う。

でもその感情を定める方向性が、言葉を生み出す人間の胸先三寸なのは最大の利点でもあり欠点でもあると思うんだよ。


感動的な感覚から感動的な言葉が生まれる。

でも、醜い感情の塊からは、醜い言葉しか生まれないわけで。

しかもそれは無責任に、それでいて効率的に他人を圧迫させる。



感情が一寸のものであることはない。

ともあれば、いつまでも漂う劣悪な感情が、何ヶ月経っても他人を許さないことも、世の中にはあるんだろう。

こんなこと言うと精神大丈夫かとか、疲れてるのかとか言われそうだがな。全然そういうんじゃないぞ。

あとちょっとこれから興奮するかもしらんが、無関係な人間が眉をひそめることはないですよ、念のため。



……言葉は正確じゃない。意味合いも。その照準もだ。


言葉を投げかける相手を間違え、罵倒する相手を間違え、

軽蔑する人間を間違え、しっかし醜い感情はまるきり筒抜け。


そう言う相談が最初に俺の元にきてから、もう半年ぐらいになる。


そういう相談を何十回と受けるたびに思うよ俺は。



どれだけ綺麗な皮を被ろうと、どれだけ同情したように見えようと、どれだけ親身になったふうを装おうと。

人間って、裏じゃまったく同じなんだなってよ。影じゃまったく同じなんだなって。

どいつもこいつも結局根本的には一緒なのに、自分の方が優性と思い込んであまつさえそれを口にする。


今始まったことじゃねえ。ある種の失望に近い何かをもう何ヶ月も味わい続けたよ。もう腹はいっぱいなんだよ。

関係なかったはずの人が悲しんでいる。関係なかったはずの人が苦しんで泣いている。




俺にはそいつが我慢ならねえんだよ。それがいけないことかよ。いけなくてたまるかよ。




俺には何も言わずに普段通りだが、その裏ではきっちり攻撃メールを該当者に送ってるってか。何ヶ月も、何ヶ月も前から逐一そうだ。逐一報告を受けてんだよこっちは。どこまで見損なわせたら気が済むんだよ。


それは正しいのかよ。それは望んだ結果かよ。それをして、自他共にぼろぼろになって、そんで何が残るんだ。

自己満足? それとも自己憐憫か? それが胸を張って正しいって言えんだな?


そういう俺はそれを人に諭せるだけの徳の持ち主か、聖人君子かと罵られればそんなこたありゃしない。むしろアウトローアウトローな何をしたいかも分からん人間だよ。俺もまったくこの有様だよ。だからどうした。


俺も含めて、人間の裏なんて大したことも無いんだろうよ。んな事は分かってる。

でもな、分別のねえ、標的も的外れな感情の誤射破裂なんざ1mmも同情してたまるか。もううんっざりだ。

そんな言動に同情する余地なんざ毛ほどもねえ。どう自分で自分を位置づけているかは知らんがな。


しかもこいつは被害妄想の域だが、もしかしたらそういうコミュニティ出来てんじゃねえのか。救済コミュニティみたいな。俺達を悪者にする言いふらしから出来たコミュニティみたいな。くだらねえ。



そんなに俺が気に食わないなら俺だけを刺し殺しに来ればいい。俺を殺しに来い。当事者だけでケツ拭こうじゃねえか。もううんざり度合いが俺の臨界点を越えてるんだよ。



そりゃあな、ぶっちゃけ程度に差があるだけで、綺麗な人間なんぞいないのかも知れねえ。

だからこそ、それを一緒になって浄化してくれそうな人を、人間は探すんじゃねえか。


そんな現代のなかにあって、少しでも誠実たらん人、程度の軽い人を見抜いて、そういう人とだけ友好を深める。それ以外は埒外に置き、見なかったことにする。


そういう人生の考え、悪くねえだろう。実行は難しいと思うけどな。

そうやって人間、人生を要領良く回していくんだろうさ。良いカードだけ組み合わせてデッキを組み回していくみたいにな。俺もそういうの見習ってみたいもんだよな。


まぁ、悪い引き運もプレイングで補って勝利するのが、本物の人生だと思うが。


しかしまずデッキを組むだけのカードを揃えないと。俺ぁそこからだな。


なんか便所の落書きみたいな日記になってしまって申し訳ない。いつもってか。けっ。

本当は『源氏物語なんてレイプ物語だ! これが素晴らしい文学とか言ってる奴は犯罪予備軍だから全員裁判抜きで電気椅子に座らせろ!!』って内容の日記書こうと思ってたんだけど、

こっちのほうを思い立ったんで、ていうか今やりたかったので糞溜めな日記でも勘弁してくだせえ。


源氏の話題は次の機会に譲るわ。大体前の二行で言いたいこと言い切っちゃったけど。それじゃ。



P.S.

この日記の中間部分に続きがありましたが、あまりに感情的になりすぎ誹謗中傷もあったので、こりゃまずいと冷静になってあとで“便所の落書き”相当部分を本文から自主削除しました。

24日追記。

一応著しい該当箇所だけ省いて再度掲載しました。やはりそのものは必要だろうと。なんか右往左往してすいません。