『恋愛論についてを少々。』

ライズだ。こんにちは。


少し本題前の余談になってしまうが、俺はこと自分の恋愛に関して言えば、自分自身に絶対的な自信を寄せている。

分かりやすく言い換えれば『俺のことをかの女性が裏切るはずが無い』という絶対的信頼に基づいた基盤である。

「それは彼女を信頼しているだけでは?」との意見もあろう。しかしそれだけではない。

俺はそれを置いても、『彼女を信頼している自分』を信用しているのである。


ナルシストじゃねーのと誤解されることを承知で、敢えて直入に言うならば、

「こと彼女を巡って俺が男として敗北する事は有り得ない」と思っている。


例えば、俺とまったく違うタイプの男性が、俺の恋人の前に現れたとしよう。

自分と同じタイプの人間では勝負にならずに俺が勝つので割愛する。

もしその男性がスタイルも良く、ルックスも並以上であったとしよう。


大学も何もかもが違う、祇園祭とか一緒に行く程度でしか会わない半遠距離恋愛状態の俺達である。もしはかり間違ってその男が俺の恋人に惚れやがったとしたら、通常ならば何かしら変化があってしまうかもしれない。


だがこと自分達の場合においてのみ言うならば、俺が負けることはない。

いかなる男であろうとも、俺を踏破し超えることは不可能であると断じても一向に憚る必要がない。

彼女を巡って男として敗北するわけがあるまい。いわんやこの俺が。



もう一度言うが、ナルシストというのではない。それは彼女と俺との信頼関係の下に存在する結論である。


我々の間に存在するのは、単なる恋愛感情だけではない。信頼度、依存度、心酔度、etc、etc。

数日会えないだけで催促のメールが来るような恋愛が、もう実は始まって三年になった今でもまったくといっていいほど衰える気配がない。


その中において、他の男がいかなる甘蜜をぶら下げて間抜け面を晒そうが、笑いのネタの足しにしかならんのである。



あぁ、俺の恋人? 奪ってみれば? 無理だろうけど。

男としての価値をボッコボコにされたければ挑めば? プッ。



こうなるほどに相手と自分を信用できているからこそ、この恋愛は途切れることを知らないのだろうと俺はしみじみ思う。


ところでここからが本題になるが、恋愛感情というのは不思議なもので、人間の多くを占める行動原理でありながら、国家の法律で取り扱いきれないほどに複雑かつ曖昧な定義をも有している。


例えば先ほど例に出してきたが、俺と彼女の間に第三者が出現し、何らかの介入を謀った場合を取り上げてみたい。


この国では、男女が結婚してなくても同棲中であった場合には、夫婦同様の権限が仮初めに与えられるという、手厚い保障を受ける事ができる。

つまり結婚していなくても、同棲中における相手の浮気が発覚した場合は慰謝料を請求し、また彼ら・彼女らの親族を通して世間的にも抹殺できうる素晴らしい環境が整っているのである。

当然、同棲状態にあった自分の恋人が他の誰かの手に掛けられることがあった場合、それ相応の社会的制裁を俺は完膚なきまでに相手に叩き込むだろう。


何の呵責もなく相手の勤め先の会社にまで画像付きファックスを送り付け、ホームレスになるまで" 面 倒 見 て や る "



しかし、だ。この浮気者に対する一方的な偏見の目は、実は国家の定める憲法に悖っていることがお分かりだろうか。


日本国憲法第13条の定めるところによる『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』すなわち『幸福追求権』は、浮気した者に対してはまるっきり損なわれていると言わざるをえない。


ジェレミ・ベンサムによる『最大多数の最大幸福』、あるいは後年の『最大幸福原理』についても同様である。

この原理で言えば、恋人が『恋愛によって幸福を得る権利』を有するように、浮気者が『浮気によって幸福を得る権利』は存在していなければならない。


それは人道的道徳的インモラルであると断じ斬り捨てるのが至極当然、人間として当たり前の反応である。

だがしかし、これは一方の人権が一方の人権によって蔑ろにされてしまっている法律上の欠陥、それも個々人の間に生ずる問題であるがゆえに解決の糸口も存在しない、まさに『誤魔化すしかない』法律の限界がここにはたしかに存在する。


無論それを解決するのが裁判所の役割であると俺はかつて教わった。

そして裁判長はさも当然のように不倫していた当本人とその相手、男と女へ罰を科すであろう。


しかしそれが、妥当であるはずなのに、どこか誤魔化しに見えるのはどうしたことか。

それはこれが時間と共に拡大的に解釈されていった場合、人権に対する保障はどこにあるのだろうか、恋愛に対する保障はどこにあるのだろうかといった不安へ直結しているからに他ならないだろう。


法律はその成文化によって我々国民を保護してくれるイージスの盾である。

しかしそれが一人歩きせぬよう我々は常に監視する義務があるのではないか。

我々が健全かつ人権に守られた恋愛を継続する為にはだ。


いついかなる法律が我々を助けているとは言っても、恋愛によって子孫を残す以上に重い権利がこの世に存在してなるものか。